住職のつぼやき[管理用]

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『出雲の阿国』のお芝居を観てきました

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以前、『歌舞伎のはじまり』という紙芝居を作ったが、実際の阿国の踊りをどうしても見たいと思っていた。
そんな時、京都劇場で『前進座』が阿国歌舞伎のお芝居を公演されるというチラシをもらい、この機会を逃してなるものか!と思い切って観て来ました。
良い席で観れました!
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恋人[名古屋山三]が、出てくる場面はカットされていたのは残念であったが、有吉佐和子さんの原作はほぼ使われていたので楽しく拝見させていただきました。
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阿国の踊りも、想像通りで面白かったです。

明けましておめでとうございます

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(観念寺本堂 阿弥陀如来像)
新年、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。合掌

沖縄旅行

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沖縄に行って来ました。
琉球王国の歴史や沖縄民謡(エイサー)の取材も兼ねてです。
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沖縄民謡のエイサーのルーツは、本土のお坊さん(袋中上人)が持ち込んだ[踊り念仏(先祖供養の為)]が始まりだそうです。
お念仏は、ここにも関係があるのですね。
激しくて、どこか悲しい踊りでした。
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‥勉強させてもらいました。
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沖縄のお墓はとにかく大きい!
お墓は女性の子宮を意味するものだそうです。
ここから生まれ、ここに還るのだそうです。
‥そういう意味があったのですね。
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(紙芝居『袋中上人と沖縄民謡エイサー』未完成)

商人から僧侶へ‥、そして紙芝居師も兼ねて

僕は、小売酒屋の三代目に生まれた。
大学は、仏教の学校であったが、卒業後は後を継いで商人になった。
が、ご縁あって僧侶になり、そしてお寺の住職になった。
その後、仏教法話の一つの方法として、紙芝居を作り出し、気がつけば、お寺やご縁ある場所で演じる紙芝居師になっていた。
紙芝居を演じた場所は、老人施設、震災仮設住宅、ホスピス、病院。看護師研修会、新入社員研修会。子供施設、お寺、キリスト教会、葬儀場、演芸場、保育所。小、中、高等学校、学者塾、地域老人会、地域婦人会、あいりん地区、商店街の店先、動物愛護団体‥エトセトラetc。
どの場所もボンさんの法衣で演じ、受けた場所もあるが、罵声を喰らった場所もある。
作った紙芝居も、仏教の話からキリスト教の話、神道の話。日本昔話から西洋の話まで、面白い話から悲しい話まで、236本(令和6年の段階で)。
‥これも、ご縁。いや御法縁。ボンさんらしくないと言われようが‥悔いはない。いや、紙芝居師をさせて頂いている時は楽しくてたまらん‥です。
これからも、ご縁をもらえれば、時間の許す限り出前させて頂きます。これからも紙芝居法話をよろしくお願い致します。合掌

紙芝居『歌舞伎のはじまり』(その5 最終回)

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阿国から始まった芸風は、庶民文化の中で、街中の[チンドン屋さん]へとも、変わっていったのです。
‥楽しく賑やかになり、現代に至っています。
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今、日本を代表する文化となった歌舞伎。
それは、今から400年前の阿国という一人の女性から始まりました。
彼女の喜びや悲しみの踊り舞いが、やがて今日の日本伝統文化[かぶく]=歌舞伎という派手な衣装を身につけたお芝居となり、人間国宝を生み出すようになったのでした。 おしまい
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(前進座お芝居『出雲の阿国』より)

紙芝居『歌舞伎のはじまり』(その4)

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‥その後、[阿国歌舞伎ロス]になった京の都はどうなったでしょう。
知恵のある?都の商売人たちは、こう思いました。
「女性の肌を露出する踊りが、風紀上良くないのなら、男性が肌を見せるなら良いだろう。」と言って‥、
都の商売人たちは、次に若い超美男の男性を集め、今でいうイケメンの若者を募り、歌い踊らせ芝居をさせました。(‥あまり現代と変わらないような‥?)
これは『若衆歌舞伎(はたまた野郎歌舞伎)』と呼ばれて、大ヒットしました。
‥しかし、これも江戸幕府に目をつけられ『これも風紀上良くない!』と禁止にされてしまいました。
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そしてその後、歌舞伎は(お堅い真面目な?)大人の男性だけが、男役、女役を演じる芸能芝居に形を変えて全国に広がり、日本の文化になってゆきます。(幕府の風紀係はもうあまり介入しませんでした‥)
さらに、阿国歌舞伎から、もう一つ新しく分派した商売がありました。それは‥.つづく

紙芝居『歌舞伎のはじまり』(その3)

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やがて、その『阿国』の噂を聞いた時の二代将軍[徳川秀忠]は、「その京の都で人気の踊り子、阿国とやらのかぶく踊りを是非、お城で見てみたい!」と所望し、呼びつけて観覧しました。
‥が、(超まじめ人間)秀忠は、その阿国が肌や素足を露わにし、髪を振り乱し踊る姿を見て、「‥徳川幕府がこれから築いてゆく社会の風紀に、この踊りの芸は良くない!」と、阿国歌舞伎を禁止にしてしまいました。
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‥落ち込む阿国。そしてその後、彼女は都から忽然と消えてしまいます。
それから、阿国はどうなったでしょう?
‥おそらくこれは想像ですが、阿国は故郷の出雲に帰って、静かに余生を過ごし亡くなったと考えられます。
現在、島根県出雲市に、[歌舞伎始祖]として阿国のお墓が建っています。つづく

紙芝居『歌舞伎のはじまり』(その2)

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‥時代は[徳川時代]に移ります。
そして、阿国は恋をします。
その相手は[名古屋山三(なごや・さんざ)]という、彼も天下一派手な[かぶく侍]でした。
阿国と山三のカップルは、あっという間に都中のうわさの人気者になってゆきました。
‥しかし、その幸せもつかの間、恋人の山三は侍同士の争いに巻き込まれ、亡くなってしまいます。
阿国のショックは、それは大きいものでした。
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その悲しみを癒やす手立ては、やはり踊る事しかありません。
阿国は悲しみを忘れようと、必死になって踊りました。
そんなある日、阿国は恋人[山三]の霊が乗り移ったかのように、彼の形見の刀を持ち出し、彼の十字のロザリオを身につけ扇子を片手に、狂ったかのように髪を振り乱し、[山三]自身に成りきって踊り始めたのです。
それを見ていたお客たちは、その鬼気迫るその迫力に、「おお、あれは正に[山三]の霊が乗り移った姿!‥おお、阿国!天下一!阿国かぶき、天下一!」と褒めたたえ、その舞いに熱狂しました。
‥が、しかし、つづく

紙芝居『歌舞伎のはじまり』(その1)

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歌舞伎(かぶき)とは、文字の如く『歌って、舞う、お芝居役者』という意味です。
又、『常識はずれの奇抜なファッション』という意味の『傾(かぶ)く』から生まれた言葉とも言われています。
さて、この歌舞伎のお話は戦国時代の終わりから始まります。
主人公は『出雲(いずも)の阿国(おくに)』という女性で、歌舞伎踊りを始めた人とも言われています。
それでは、歌舞伎の歴史のお話のはじまり、はじまりー。
‥ここは京の都です。
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阿国という女性は、その呼び名のように、出雲地方(今の島根県)で生まれたと言われています。
(諸説ありますが、)彼女は出雲大社の巫女さん達のリーダーでした。
巫女といっても正式ではなく、数珠を持ち、鐘を鳴らして、念仏も唱え(踊り念仏)、神楽も舞いました。
はるばる出雲地方から、京都にやって来たのは、故郷の寺院や神社の修繕寄付を集める為でした。
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「ナンマンダーブ、ナンマンダー」十八番の念仏踊りです。
阿国は、歌って踊る事が大好きでした。
念仏を称え、鐘を打ち鳴らし、飛び跳ね楽しく舞い、寄付を募るので、都の人気者になっていきました。
そこで、阿国たちは巫女を辞めて、芸能一座を開く事にしました。
京の都の人々は、阿国たちを[派手に踊って騒ぐ人]=「かぶく人」、阿国かぶきと呼ぶようになっていきました。つづく

泉佐野市『光明寺』様の今年の報恩講

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11月15日.16日の二日間、今年も泉佐野市の光明寺様の報恩講法要にお招き頂き、紙芝居法話に行かせていただいた。
土曜日曜と二日間とも、(11月には珍しく)良いお天気で暖かい日でもあったので、御門徒さん達もたくさんおいでくださり、賑やかな法要になった。
もうこちらにご縁を頂いてから10年以上‥。顔見知りの御門徒さんも何人もできた。
いつもリラックスして、お話できる僕に取っては貴重なお寺様です。今年もありがとうございました。
そして、又来年の11月報恩講もよろしくお願い致します。合掌

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