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『中外日報』「人生ジャーナル」に掲載されました

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 昨日、宗教新聞『中外日報』の「人生ジャーナル」欄に、「お寺の出前」が掲載されました。
 内容は〔医療福祉の最前線〕というコーナーに、「お寺の出前 紙芝居屋亭」のはじまりから、現在に至るまでを(中外記者さんがうまくまとめて)書いて下さっています。
 
 最後に「ボランティアは私を育ててくれる。まだ作りたい話がたくさんあります。人間(の物語)っておもしろいなぁと思います。・・後10年で(紙芝居)200本が目標です。」で、掲載をまとめて下さっているので、(自分自身、言い出しっぺの)プレッシャーと共に、新たな製作意欲もふつふつと沸いてくるような、そんな感慨を受けました。
 

連日の二つの法要

 先週の土曜と日曜の連日、東大阪市の「善林寺」様の『新年法要』(夜の法座)と、羽曳野市の「願行寺」様の『報恩講法要』(昼と夜の法座)にお招きいただき、「紙芝居法話」に行かせて頂いてきた。
 又両日共、そのお寺の法要前に、うちの檀家さんのご法事を承っていたので、(車を運転している時と、お経をあげている時以外は)ほとんど早足で移動としていた。・・で、さすがに昨日はぶっ倒れてしまった。(一日寝てました。一月は忙しかった。)
 でも、よく寝たので今日は元気です。(笑・・単純な男です)
 その二つの法要で、共通して面白かったは、話が終って帰り際、どちらもお檀家さんから、「思い出したわ!おじゅっさん、この前テレビに出てはりましたやろ?!・・そやそや、人間国宝さんや!」と言われたことであった。
 その言葉に、周りの人達も「ああっ、そやそや、どっかで見たことあるような気がすると思っててん。」とざわめいた。(改めて、あの番組は人気番組やってんなぁと思った)
 僕はおちゃらけて「・・そうでんねん。ホンマもんでっせ。『隣の!』が付く人間国宝やけどね。」と冗談で言うと、会場は大爆笑で、楽しい雰囲気を醸しながら本堂を後にした。
 昨年の夏のテレビ放映やったのに、今も覚えていて下さっている方が多く居られたことが、とても嬉しかった。 

河内長野「下里地区:元気アップ教室」への出前

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今日、河内長野市〔下里地区〕にある「下里元気アップ教室」へお寺の出前に行って来た。
 いわゆるこの教室は、河内長野市がバックアップする「高齢者いきいきサロン」のようなものを想像して頂いたら解りやすいと思う。
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 河内長野市といっても、はなはだ広うござんして、こちらの下里地区へ来て欲しいと頼まれても、最初は(どのへんなのか)ピンとこなかった。
 例によってカーナビに住所を入れて、本日出発したのだが、(例によって)ナビは「目的地周辺に着きました。運転お疲れ様でした。ちゃんちゃん」で案内が終るので(「ちゃんちゃん」は無い。あったらおもろいが、怒りがマックスにくるかも〔笑〕)話を元に戻す。・・目的地周辺かもしれんが、その周辺範囲が(田んぼばかりで、失礼、自然が豊富で)広すぎてまったく解らず、途方に暮れてしまった。
 後は(地図と)カンだけが頼りで、何とか着けた。・・まぁ、いつもの事ながら良かった。
 お話はいつもように、時間一杯しゃべりまくって(これが良いかは解らんが、僕はしゃべりなのでつい喋りすぎてしまう・・)楽しんで皆さん(元気アップされた)と、しておこう。
 うちの寺の周辺も田舎だけど、こちらも負けず劣らずの田舎だったと思う。・・でも、何か自然が一杯だと落ち着くなぁ。時間が迫っても余りイライラせんかったわ。これって田舎の良いトコやなぁ。

紙芝居:「滝畑に磨崖仏(まがいぶつ)あり」 (後編)

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 「磨崖仏」は、はじめに『聖(しょう)観音菩薩像』から、彫り始められました。
 この仏さまは、災難や恐怖を取り除いて下さる御方です。
 庄吉さんは、近隣のお寺さんからいろんなアドバイスを頂きながら、旅人の安全を願う気持ちを大事にして、この仏さまを彫り始められたのでしょう。
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 『聖観音菩薩像』完成後、庄吉さんは次に、その隣に『地蔵菩薩像』を彫り始められます。
 地蔵菩薩様は、〔死後の世界〕でも救い取って下さる仏さまです。
 滝畑の崖で、亡くなられた方の鎮魂の気持ちを込めて、この仏さまを彫ろうと思われたのでしょう。
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 昭和六年、六年間余り掛かった二体の磨崖仏は、ついに完成しました。
 そして完成とともに、京都から僧侶をお招きし、お祝いの〔落慶(らっけい)法要〕が開かれました。
 又、お手伝い頂いた地元の方達に、感謝の気持ちを込めて『餅巻き』も行われたということです。
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 その後、大仕事を成し遂げられた〔夏目庄吉〕さんは、磨崖仏完成から六年後の「昭和十二年」に、六十一歳でお亡くなりました。
 晩年、お孫さんとご一緒に写された、この絵のようなお写真が、今も残っています。
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 「磨崖仏」完成から、三十六年の月日が経ちました。
 この場所に、大阪府は昭和四十八年から九年間掛けて、『滝畑ダム』を建設しました。
 このダムは、〔農業用水〕の他に、大雨の際は〔洪水〕を防ぐ役目も果たしています。
 この巨大なダムの北側の岩肌に、今も二体の仏さまが優しく微笑み、我々を見守って下さっています。 おしまい

 〔参考資料〕
 河内長野市「生涯学習情報紙」(平成19年3月№22号)より、
 「かわちながの観光ボランティア倶楽部」招集資料、
 河内長野市「児島写真館」より古写真、
 図説 河内長野市史、
 郵政省郵政研究所付属資料館より「制服の移り変わり」など。

(あとがきに代えて)
 ・・この紙芝居が完成した今も、まだ「悩んでいる」。
 (滝畑地区の歴史も、そして夏目さんが磨崖仏製作に掛けた篤い想いも)ろくに解らない僕が、果たしてこの紙芝居を作って良かったのか?・・と。
 又、紙芝居製作に関して、(もうちょっと調べ上げてから作れば良かったのに)「見切り発車」し過ぎてしまったのではないか?・・などと悩む。
 この紙芝居製作に関しては、なぜ?何故?ナゼ?・・ばかりで随分、迷い、完成した今も「これで良かったのか?」という思いが強い。
・・というのは、まず、磨崖仏製作に対しての夏目さんの「動機」が(いま一つ)はっきりしていない、と言う点。
 これは(これだけの大事業をするに当たって)夏目さんの信心の篤さと、旅人を思う優しい気持ちだけで作ったとは、とても理解できない。
 ご自分の日々の生活の中で、やむにやまれぬ「苦しい心情」、いや出来事があったに違いない。(想像であるが。)
・・でないと、これだけの大きな仏像を(お金と時間と命を掛けて)六年間費やして、(一般の素人さんが)一人で彫り上げるのは無理であろう。
 僕は僧侶という仕事をする上で、身内(お子様など)を亡くされたので、お地蔵さまを彫られた方を何人も知っている。・・しかし、これだけの規模での彫刻は知らない。
 「なぜ、庄吉さん、こんなデカイ磨崖仏を彫ったのですか!?」と、(高所恐怖症でもある〔笑〕)僕が、何度も滝畑ダムの上から身を乗り出し、問いかけた。・・が、解らず終いだったが。
 あまり書きすぎると、あとがきにならないので、これで止める(実はもっとある)が、今挙げた一点だけでも、随分迷って書いた。・・だから完成した今も、夏目さんの心情にうまく触れていないような気がして、(上っ面ばかりの紙芝居でなんか申し訳なくて)反省ばかりなのだ。
 
 では何故「製作を急いだか?」というと、パソコンで『河内長野滝畑ダム』と打ち込んで検索した時、そこに数多くの、『滝畑ダム:大阪の心霊スポット』(エトセトラ)などと題する「軽いワイドショー的」興味本位な項目が一杯出て来たからだ。
 「こんな項目が上位にランクされるようでは、夏目さんの苦労が水の泡だ。又、地元に人に対して失礼ではないか」と腹立たしく思い、一刻も早くマイナスのイメージを払拭する為(微力ながらも)作品を作って、観光ガイドボランティアの皆様方に《滝畑には磨崖仏あり!》とハッスルして宣伝して頂きたかったからである。
 ・・本当に微力なのだが、この作品を(うまく好きなように利用して頂き)、夏目さんの志を観光客の方がたに、強く発信していただければ、(正月休みを返上して急いで作った〔笑〕)作者としてこれほどの幸せはありません。ガイドの皆さん、後はよろしくお願い致します。(何か僕で協力できることがあれば、何でもしますのでおっしゃって下さい。)そして、これを読まれた読者の方は、是非一度、(かわちながの観光ガイドボランティアさん等をご予約し)河内長野『滝畑』地区へお越しください。そして《生》の『磨崖仏』を、是非ご覧になって下さい。合掌
 
 

 

紙芝居:「滝畑に磨崖仏(まがいぶつ)あり」 (中編)

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 郵便局長であった〔夏目庄吉〕さんが、なぜ、滝畑の岩壁に「磨崖仏」を彫ろうと思ったのか?・・その理由ははっきりとは解っていないのです。
 しかし、このような説があります。
 この滝畑には、高野山へと通じる道がありました。
 が、その道幅は狭く、急な崖近くを通らねばなりませんでした。
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 旅人たちはよくそこで足を滑らし、中には亡くなられた方もあったということです。
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 その話を知った〔夏目庄吉〕さんが、旅の無事を祈願する為、「磨崖仏」を彫ろうと決意された・・という事なのです。
 〔庄吉〕さんは、元々『仏教』に造詣が深く、たいへん信心の篤い方だったそうです。
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 大正時代の終わり頃、〔庄吉〕さんは滝畑地区の人々の協力を得て、岩壁近くに立派な足場を組み、磨崖仏製作に取り掛かります。
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 〔庄吉〕さんは毎日、市街地にあるご自宅から、滝畑まで片道10キロの山道を、自転車で漕いだり押したりしながら通い続けられました。
 暑い日もあったでしょう。
 寒い日もあったでしょう。
 が、〔庄吉〕さんは強靭な精神力と体力で、一人滝畑へと走り続けられました。
 又、帰宅後は翌日に備え、道具なども丹念に整備されていたそうです。 つづく

紙芝居:「滝畑に磨崖仏(まがいぶつ)あり」 (前編)

 (はじめに~)
 大阪は「河内長野市」に、『滝畑(たきはた)』という地区がある。
 ここに、大阪府下最大の『ダム』があり、その周辺はキャンプ場などのレジャー施設になっている。
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 一昨年、妻と一緒にこの『滝畑ダム』を見学に行った。
 その時驚いたのが、このダムの巨大さよりも、ダム北側の岩壁に掘られた巨大な『磨崖仏』だった。
 おそらく案内版を見なければ、知らずに通り過ぎたであろうこの二体の巨大な(観音様・お地蔵様の)仏像群。
 僧侶という仕事をしているので、いやでも目を凝らし探して見た。・・そして思った。
 この岩壁に掘られた二体の仏像、いったい誰が?何の目的で?いつ?彫られたのか?・・僕の興味はダムよりも(失礼!)そっちの方に向いてしまった。
 そして又(笑)、ムクムクとその『磨崖仏』完成までのエピソードを調べたくなり、出来ることなら、その『紙芝居』を作ってみたいと思った。
 ・・それから一年。ここに来る度に、少しづつ資料を集め始めていたそのような時、『かわちながの観光ボランティア倶楽部』〔滝畑地区担当〕の方々と知り合うご縁を頂いた。
 こちらの倶楽部の方々も、滝畑の磨崖仏の「紙芝居」(のようなもの)を作りたいと考えておられ、それを使って見学者の方に説明案内したいと思っておられたらしいのだ。
 「これはご仏縁だ!やはり、今作らねば・・。」と勝手に決心し、(又ご依頼もあったので)倶楽部の方々からいろいろと資料を頂きながら、なんとか(故人のプライバシーにも考慮し、想像力を膨らませながら)完成までこぎつけた。
 それが、今回の紙芝居である。

 尚、実際の《生》の紙芝居を、『滝畑ダム』現地の大迫力の中で、ボランティアガイドさん案内の元に見られたい方は、『河内長野市市役所商工観光課』(電話)0721-53-1111〔かわちながの観光ボランティア倶楽部〕まで、お問い合わせ頂ければ幸いである。(要予約2名以上で、参加者1名につき100円の運営協力費をお願いしたいとのことだ。)又、この時『紙芝居』も可能かを聞いて頂きたい。)
 前置きが長くなったが、それでは紙芝居のダイジェスト版を見て下さい。・・はじまり、はじまり~
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 皆さん、『磨崖仏(まがいぶつ)』って知ってますか?
 『磨崖仏』とは、自然の岩壁に彫刻された仏様(仏像)のことです。
 大阪は、河内長野市『滝畑』という所に、この磨崖仏があります。
 この仏像は、昔のお坊さんが彫ったものではありません。
 又、プロの彫刻家が刻んだものでもありません。
 実はこの仏様、一人の『郵便局長』さんが彫ったものなのです。
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 その方の名は、『夏目庄吉』さんとおっしゃいます。
 夏目さんは、河内長野ご出身で、『特定長野郵便局・初代郵便局長』をなさっておられました。
 この方が、50才近くになられた時、突然、滝畑地区の岩壁に『磨崖仏』を彫ろうと決心されるのです。
 その理由は・・? つづく

一年半ぶりのお寺でのお葬式

 おととい、一年半ぶりに、うちの寺で(檀家さんの)お葬式をした。
 今、ほとんどの檀家さんが〔葬儀会館〕でお葬式をする為、本当にうちでするのは久々だった。
 亡くなられた方のお家の〔ご近所さん〕と〔葬儀屋さん〕がお寺に入って、式場の準備をいろいろとされるのだが、どちらも(寺でするのが)久々なので、テントを張ったり、ストーブの準備をしたり、スピーカーを取り付けたり、手間取っておられた。
 ・・でも足の悪い年配の方々は、式場が近い為に「今日は式場まで歩いて行けて有り難いわ~」と言っておられたなぁ。
 車に乗らない、いや車を持っていないお年寄りの方にとって、人に頼んで、毎回遠く離れた〔葬式場〕まで、友人の車に乗せてもらって行くのは、いろいろと気兼ねするらしい・・。
 
 でも、お葬式をお寺でしたり、自宅から出したりするのは(その準備から後片付けまで)ほんまに見ていてたいへんな事である。(ご近所の男の方たちは二日間、仕事を休んで準備せねばならないのだから・・。もちろん働く女性も同じ事である。)
 おそらく、この(田舎スタイルの)お葬式は、大都会では(ご近所付き合いが希薄な為)不可能だろうと思う・・。うちのような田舎でも、そう遠くは無い未来、不可能になってゆくであろう。
 「お葬式を出す」という儀式は、おそらく(近未来まで?)無くならないだろうが、そのスタイルは今、うちのような田舎でも変わろうとしている。
 

今年最初の「白寿苑」法話会 (初夢の中の僕)

 昨日の晩、今年最初の特養老人ホーム「白寿苑」での法話会を行った。
 毎年1月の法話会は、苑内で〔風邪〕が流行るため、中止や延期が多かったのだが、昨日は大丈夫だった。
 会が始まる30分程前から、すでに一人のおばあちゃんが会場に来られていて、(時間があったので)二人でいろいろとおしゃべりをした。
 このおばあちゃんは、「正月の初夢に、僕が出て来た夢を見ました」と言われた。
 思わず僕は「その夢の中で、僕は何をしてましたか?」とお聞きすると、「忘れました。(ガクッ!)でも間違いなく住職さんでしたよ」とおっしゃられたので(僕の印象が、この方の中で間違いなく記憶されているのだと)嬉しかった。
 はてさて、でも、〔初夢〕に僕が登場して、良いやら?そうで無いやら・・?

河南町:「介護者家族会〔新年会〕」への出前

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 今日、河南町『農業環境改善センター』で、「介護者家族の会〔さくらんぼ〕」の新年会があり、そこの役員(幹事)もしている僕が「お寺の出前」に呼ばれたので、(知り合いの方ばっかりなので照れくさくもあったが、)お話に行って来た。
 テーマは『命の大切さ・介護・福祉』を基本においた紙芝居をと頼まれた。
 ・・で、(介護と福祉)のテーマにした紙芝居『王さまと老人』と『二つの墓穴』をして、最後に(命の大切さと思いやり)をテーマにした阪神大震災の日にちなんだ『地球が動いた日』と、仏教的思いやりの精神をまとめとした紙芝居『三尺三寸のお箸』をして締めくくった。
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 まずは会長さんの挨拶。
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 そして、紙芝居披露。
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 ついでに解りやすい法話も混ぜ込む。
 とまぁ、こんな感じで、介護・福祉の話をなるべく面白くお話させて頂いた・・つもりである。
 皆さんも喜んで頂けたような・・気がする。
 良かった、良かった・・と、自分に言い聞かせる・・僕であった。

大阪狭山:『ふれあいサロン』への出前

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昨日、大阪狭山の『ふれあいサロン』へ、お寺の出前にお邪魔した。
 日曜とあって、たくさんの方がおいでであった。
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 僕はどんな「紙芝居」をさせて戴こうかと考えていたのだが、
 例によって例の如く、無難な路線から僕の(おそらく)代表作三本をさせていただくことにした。
 まずは近年の代表作『三尺三寸のお箸』。
 そして、命に関するお話も入れようと初期の代表作『子供を亡くしたゴータミー』。
 そして、運の善し悪しに執着しない話(中期の代表作)『サイオウの馬』をさせて頂いた。
 これらはすべて僕の大好きなお話ばかりである。
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 お話の後は、皆でコーヒーを一杯。・・くつろがせて頂きました。
 『ふれあいサロン』の皆さま、そしてお世話人の皆様、お世話になりました。ありがとうございます。
 この場をお借りして、深く御礼申し上げます。
 又、お会いいたしましょう! 皆様、お元気で。 合掌

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